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仏教の年中行事のなかで最も有名な行事といえば、聖なる三大事のウェーサーカ祭、Vesakです。これは仏教徒以外の人たちにも広く知れわたっている行事です。ウェーサーカとは古代インド暦の五番目にあたる月の名称のことで、たいていは西洋暦の五月になりますが、四月下旬になることもありますし、六月上旬になることもあります。Vesak の語源は、パーリ語で Vesakh サンスクリット語でVaiakhaです。国によっては、ウェサックとかウェーサーカと言わずに「釈尊の日」として知られている国もあります。 WFB世界仏教徒連盟決議 1950年、第一回世界仏教徒連盟会議(World Fellowship of Buddhists ― WFB)がスリランカで開催されました。この会議で、仏陀が誕生されたウェーサーカの満月日を祝祭日にすることについての合意の決議がなされました。世界会議で可決された決議は以下のとおりです。 「世界仏教徒連盟会議は、ネパール王国でウェーサーカの満月日を祝祭日に制定したネパール国王陛下の慈悲深い行為に感謝の意を示すと同時に、多数であろうか少数であろうか仏教徒がいるすべての国々の政府最高責任者に、人類に偉大なる恩恵を施した人物の一人として普く称賛されている釈迦牟尼仏陀を尊敬し、五月の満月日を祝祭日にすることに向けて前進するよう、心より要請いたします」 次の世界仏教徒連盟会議でも、ウェーサーカの満月日、または釈尊の日の祝祭に関する多くの決議案が採択されました。1954年、ミャンマーのヤンゴンでWFB会議が開催され、次のような決議案が可決されました。 「本会議は、インド政府に対して、ブッダ・プールニマー日(五月の満月日)を全インドの祝祭日にすると宣言するように要請いたします」 (ブッダ・プールニマー日、仏陀生誕記念日) 1956年、ネパールで開催された第四回WFB会議でも、同様の決議案が可決されました。「本会議はパキスタン政府に対して、聖なる三大事のウェサック・プールニマー日(五月の満月日)を、今後毎年祝祭日にすると宣言するように要請いたします」 1961年、第六回世界仏教徒連盟会議がカンボジアのプノンペンで開かれました。この会議では「五月の最初の満月日を釈尊の日として認め、祝典を行う」ことが決議されました。 1976年、第十一回WFB会議がタイのバンコクで開催されました。ウェーサーカの満月日を世界共通の祝祭日に定めるための決議が、次のような決議案を採択することによって再び繰り返されました。 「本会議では、ウェーサーカ祭を同一の日に実施することについて決議する必要があります。それゆえ当委員会は、前総会で可決した決議を、本会議でもう一度改めて行うことを提言いたします」 マラヤ連邦――ウェーサーカの満月日が祝祭日に認定 WFBの世界会議で可決された多数の決議はさておき、マラヤ連邦の仏教団体は、1961年、連邦政府に対して、ウェーサーカの満月日をマラヤ連邦の祝祭日にするように申請書を提出しました。次の文はその一部です。 「ウェーサーカの満月日を毎年マラヤ連邦の祝祭日にするように、政府が深い思いやりをもって検討し、寛大に取り扱ってくださることを、われわれ請願者は心から望みます。これまでマラヤ連邦の仏教徒のあいだでは、釈迦牟尼仏陀の誕生を祝う日について意見が一致していませんでした。四月八日に祝う人もいましたし(中国系の人)、四月の満月日(十五日)に祝う人もいました。この不一致が、これまで仏教徒が合同でウェーサーカの満月日を祝祭日にするという要請を妨げてきたのです。しかし今マラヤ連邦の至るところにいるすべての仏教徒が、仏陀の誕生をウェーサーカの満月日(五月の満月日)に祝うことに合意しました。また同日、すべての仏教寺院で祝祭の儀式を執り行うことにも合意しました。 ウェーサーカの満月日は、数ある仏教行事のなかで最も神聖な日です。三大事、つまり仏陀の誕生と成道と入滅という三つのことを祝う日です。世界中の仏教徒たちは、大いなる尊敬心をもって、この三つの記念すべき日を祝います。在家者はこの日を特別な日として、貧しい人々に施しをしたり、寺院に布施をしたり、経典を唱えたり、冥想をしたり、説法を聞いたり、戒律を守るなど、徳のある行為を行います」 マラヤ連邦にいるすべての主要な仏教徒たちから、この請願を支持するための署名を集めているとき、われわれの寛大な政府は、1962年からウェーサーカの満月日を祝祭日にすると承認しました。 偉大なる王子の誕生 世界総人口の五分の一からにもなる大多数の仏教徒にとって、ウェーサーカ祭は特別に重要な日です。東は東京から西はサンフランシスコまで世界中の多くの寺院に仏教徒たちが集まります。そして王室の快楽を捨て、人類に平和と幸福をもたらしたインドの王子に敬意を表します。正覚者、釈迦牟尼仏陀は、紀元前六三二年、ウェーサーカの満月日に誕生されました。この幼い王子は「シッダールタ」Siddharthaと命名されました。意味は「あらゆる善をもたらした人」です。シッダールタ王子の両親、スッドーダナ王とマハーマーヤ王妃は、インド北部に位置する小さな王国を統治していました。 シッダールタ王子が誕生したとき、老齢のアシタ仙人が宮殿を訪れました。そして王子を抱きあげ、最初に微笑んでから次に涙を流しました。そばにいた人たちは、その普通ではない態度を見て「どうなされたのですか?」と訊ねました。アシタ仙人は「私が微笑んだのは、この王子はやがて、世界でいまだかつて現れたことがない偉大なる指導者になるからであり、涙を流したのは、王子が成長するまで私は生きていられないからだ」と言いました。 優れた智慧をもつ王子 ゴータマ・シッダールタ王子は宮殿で暮らし、この世のあらゆる贅沢を享受していました。両親は、王子が外界の不快な現実に触れないようにと王子を保護しました。王子はスポーツに秀で、卓越した知性を発揮していました。が、そのような束の間の快楽には満足していなかったのです。 王子は思慮深い人でした。ある日、一匹のヘビがカエルに食らいつき、次の瞬間、タカが空から舞い降りてきてカエルを銜えたヘビを捕まえて飛び去ってゆく、という光景をまのあたりにしました。王子は考えました。生存とは、いま見た光景のように、絶えず強者が弱者を打ち負かすことだ。この生存競争が終息するときにのみ幸福が見つかると。 またある日、王子が宮殿の門外に出たとき、腰の曲がった老人と病人と死体を目にしました。王子はぞっとしました。いくら体を大事にしていても、体は老病死に支配されていると。 老人、病人、死体を見たあと、ひとりの行者を見ました。着ているものは簡素な衣でしたが、世俗の情欲を捨て去り、平安な心を身につけていました。王子は、その行者が発している幸福と落着きに深い感銘を受けました。そしてこれまでの現象を熟考し、老病死の苦しみを解決する道を求めようと決意したのです。 シッダールタ行者は、数人の指導者のもとを訪れて指導を受けました。しかし指導者の智慧には限界があり、自分が求めていた問題の解答を得る助けにはなりませんでした。そこで自力で真理を探求することを決意したのです。並々ならぬ努力をし、六年もの歳月を経たのち、ついに真理に目覚めました。最初に悟ったことは「中道」です。世俗の快楽に耽ることも、体を痛めつける苦行に没頭することも、その両方を避けるべきだということです。心を清らかにして平穏を得るためには、あらゆる面において中道を実践しなければならないのです。 成道 シッダールタ行者は三十五回目の誕生日に、ブッダガヤーの菩提樹の根もとに坐して冥想しているとき、ついに完全なる悟りを開かれ、正覚者に成道されました。この日もウェーサーカの満月日でした。そしてその後四十五年ものあいだ、仏陀はインド北部を歩き、人々に、すべての生命に対する慈悲の教えと、存在の本質を悟る道を説かれました。 真理を悟る 仏陀は、すべての苦の根源は無明であることを悟りました。仏陀の教えの根幹をなすものは、四つの聖なる真理(四聖諦)です。一番目は、苦の真理です。生は、老、病、死、不幸という苦しみに満ちています。いくら喜びを追い求めても、それは手に入らず、さらなる苦痛や不満で終わるということです。二番目は、苦の原因の真理です。欲望や利己主義、際限のない渇愛が苦をもたらしているということです。三番目は、苦の滅の真理です。渇愛が取り除かれたときに苦が滅します。四番目は、苦を滅する道であり、聖なる八正道のことです。聖なる八正道とは、 一、正見 二、正思惟 三、正語 四、正業 五、正命 六、正精進 七、正念 八、正定 仏陀の入滅 他の偉大な宗教指導者たちと同様に、仏陀にも仏陀の教えに反発する者たちがいました。しかしそのうちの大勢が、説法を聞くうちに仏陀の教えに真理を見出し、仏陀に帰依し、存在の苦しみから自らを解放するために正しい生き方を歩み始めたのでした。 悟りを開いてから四十五年後、仏陀はクシナーラーで、大勢の比丘たちが見守るなか、二本の美しいサーラ(沙羅)樹のあいだに横たわり、ついに息を引きとりました。この仏陀の死は、究極の平安と至福への到達、大般涅槃(Mahqparinivqza)として知られています。この偉大なる出来事も、ウェーサーカの満月日に起こりました。仏教の紀元は大般涅槃、つまり仏陀の入滅日から始まるのです。 聖なる三大事 ウェーサーカ祭には、世界中の仏教徒たちがゴータマ・ブッダの誕生と成道と入滅という三つの偉大なる出来事を祝います。仏教は、インドを出発点として世界のあらゆる地域に広がりました。そして教えを理解した人々の文化に、ただちに溶け込んでゆきました。その結果、仏教美術や仏教文化は、それぞれの国で、豊かで多種多様な形となって現れたのです。仏陀は断固として暴力を禁じましたから、それらは深い慈しみと憐れみを示すものとなりました。 仏教の慣習も、仏教を受け入れた各国の文化に合うように、さまざまな形で適応してゆきました。ですからウェーサーカ祭も、世界中でさまざまなやり方で祝われているのです。とはいえ、多くの慣習は本質的に世界共通になっています。 ウェーサーカ祭を祝うときに忘れてはならない最も重要なことは、この聖なる日は、清らかな仏教の祝祭日だということです。ご馳走を食べたり、飲んだり、踊ったりして、お祭り騒ぎをする日ではありません。この日は、仏教徒たちが仏法に対する「信」を再確認し、心を清らかにする日です。冥想をしたり、慈しみを実践する日なのです。 ウェーサーカ祭 ウェーサーカ祭の当日、敬虔な仏教徒たちは寺院に集まり、儀式用の仏旗を掲げ、聖なる仏法僧の三宝を讃えて経文を唱えます。在家者のなかには花やろうそく、線香などの供物を持ってきて、偉大なる釈迦牟尼仏陀の足もとに供える人もいます。これらの象徴的な供物を供えるとき、次のことを思い起こしてください。いま美しく咲いている花もやがて萎む。ろうそくや線香もすぐに燃え尽きる。私の命も、この花やろうそく、線香のように衰えて死ぬ。 それから在家者は、不殺生のために特別な努力が要求されます。この日は肉や魚を食べないようにするのです。いくつかの国々、特にスリランカでは、ウェーサーカの祝祭日は二日間あり、政府の命令によって酒屋と畜殺場はすべて休業します。また解放を象徴する行為として、飼っている鳥や動物を放す人も大勢います。ですがここで気をつけていただきたいことは、鳥を放すとき、雑踏する町の中心部で放すことはお勧めできません。なぜなら、鳥たちはかわいそうに長いあいだ鳥籠に捕えられていたため、どこに行けばよいか分からず、迷ってしまうこともあるからです。またあくどい商人が、せっかく自由になった鳥たちを捕まえて、鳥好きの在家者に売りつけることもあるのです。そこで鳥を放すときには、鳥が本当に自由になれるように農村部で放すことをお勧しめします。 それから、在家者のなかには清楚な白い服を着て、新たな決意をもって八戒を守り、寺院で一日を過ごす敬虔な仏教徒もいます。彼らは常に教えにしたがって五戒を守り、日々を正しく過ごしていますが、新月と満月日という特別な日には、心を清らかにするためにさらに戒律を増やします。道徳を守り、欲を減らし、謙虚さを実践するのです。八つの戒律とは、 一、 生命を殺さない 二、 盗まない 三、 性的な行為をしない 四、 悪い言葉を使用しない 五、 酒類や麻薬を使用しない 六、 不適切な時間に食事をとらない 七、 踊りや歌、自分を飾ることなど、快楽から離れる 八、 謙虚さを実践するために高座や贅沢な椅子に座らない 在家者は僧侶の説法を聞きます。一方、僧侶は政府の平和とすべての生命の幸福を願いながら、二十五世紀以上も前に仏陀が説かれた経典を唱えます。そして仏教徒は皆、互いに調和することや、他人を侮辱しないで尊重するという仏陀の教えを思い起こすのです。 他人に幸福をもたらす ウェーサーカ祭には、高齢者や障害のある人、病気の人に安らぎをもたらす活動も行います。療養所など、国中のさまざまな慈善施設に寄付をしたり、奉仕したりするのです。それからウェーサーカ祭は、思う存分喜び、愉しむ日でもあります。喜ぶといっても、低俗な欲望を満たすという意味ではありません。より多くの人が仏教を理解できるように寺院を装飾したり、灯火をともしたり、仏陀の美しい生涯の絵を壁に描いたり飾ったりという、有益な活動をして愉しむのです。また、仏陀を敬うために寺に参詣した人たちに、飲み物や菓子、菜食料理をもてなすために張りきって用意をするのです。 パレード 近年ウェーサーカ祭を祝うために、美しく装飾した山車に仏像を乗せてパレードを行っている仏教団体もたくさんあります。けれども実際のところ、仏教の国ではそのような伝統はまったくありません。でももしパレードを行うことによって人々の仏教への帰依が深まり、正しい生き方を送ることの助けになるなら、それは悪いことはありません。しかしあいにく山車をつくるのに熱狂的になり過ぎて、ウェーサーカ祭の本来の意味を見失っている団体もあるのです。一生懸命にためた多額のお金を、ただ単に人目を引くためだけの山車や装飾品に浪費してしまうのです。そういうものにお金を使うくらいなら、仏教を広めるためや、苦しんでいる生命を助けるために役立てた方がはるかにいいでしょう。パレードには、ほどよい美しさで飾られた山車を一つだけ出すに留めるのがいちばん良いと思います。また寺院の装飾についても、訪れた人が飾りを楽しむだけではなく、礼拝に参加したくなるように、上品で落着いた感じにしたほうが良いでしょう。人々が仏教への理解を深め、慈悲を実践し、心を育てるために冥想し、暴力から離れ、精神を向上させようという勇気が湧いてくるなら、ウェーサーカ祭はすばらしく有意義なものになります。 仏陀への敬意 仏陀に対してどのように敬意を表せばよいかということについて、仏陀は非常に大切なことを説かれています。仏陀が涅槃に入られる前のことです。忠実な弟子のアーナンダ尊者が嘆き悲しんでいるのを見て、このように説かれました。「悲しむな、構成されたものはすべて(この肉体も)滅びるのです」。そして皆に対して、「この肉体が滅びても嘆いてはなりません。私が死んだあとは、私の説いた法(真理)がお前たちの師となるのです」と。法だけが、この世の中で永遠不変なものであり、無常の法則に支配されていないものなのです。 さらに仏陀は「私に敬意を表したいなら、単に花や線香、ろうそくを供えるだけではなく、偽ることなく正直に教えを実践して精進しなさい」と強調されました。 以上のことがウェーサーカ祭の祝い方です。正しく生きることを決意して、心を成長させ、慈悲を実践し、人類に平和と幸福をもたらすために、ウェーサーカの満月日を祝うのです。 聖なる三大事の日、ウェーサーカ祭が すべての生命に平和と幸福をもたらしますように Sadhu! Sadhu! Sadhu! ****************************** ウェーサーカ祭 CELEBRATION OF WESAK K.スリダンマナンダ大僧正著 Ven. Dr. K. Sri Dhammananda Nayaka Maha Thero 訳 出村佳子 Translated by Yoshiko Demura http://homepage3.nifty.com/sukha/ ****************************** |
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